
台東区、下谷竜泉寺の酉の市の繁盛
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酉の市の繁盛は、宝暦年間(一七五一~六四年)から下谷竜泉寺に移った。なんといっても不便な田舎より、江戸のそれも「花の吉原」をひかえた竜泉寺にはカナワナイ。それ以来吉原とお卜リさまのもちつもたれつの関係は続いた。「田の中が下月ばかり町になり」「お多福に熊手の客がひっかかり」などの川柳にもみられる。吉原に行ってくるとはチョットいいにくいが、「おトリさまへ」と言えば、なんとかカッコがついたわけだ。
酉の市はもうけをかき込む熊手のほか、金のたまる黄金餅、将来、人の頭になれと八頭いもが売られるが、すべて金と繁盛に結びついている。したがってデッカイ熊手を買い込んで「お手を拝借、いようシャンシャンシャン」とやっているのは水商売が多い。もっとも、このごろは売れた熊手にブラ下がっている名札には堅い大企業の名も多く見られる。不景気の年ほど熊手が売れるのはなんとか金をかき込みたいという願望の表れか・・・。よく三の酉のある年は火事が多いといわれるが特別なコンキョはない。
竜泉寺のお酉さま(通称浅草のお酉さま)の熊手は、大体境内百軒、参道五十軒で、その壮観さは東京一。新宿がこれに次ぐ、三番は目黒、大森である。熊手の種類は一見たいしたことはないようだが、五百種類もあるから驚く。時代の推移によって形や飾り物も変化しているのだ。
天保初年(一八三◯)頃には柄の長い実用熊手にオカメの面がついているだけだったのが、明治になってシメナワや扇がつけられた。
戦前戦後を通じて最高の入手は、吉原などの赤線廃止(昭和三十三年春)の前年の「二の酉」で、さらばラパウル、いやヨシワラよとばかり、この日だけで二百万人。売れた熊子が三十万本。空前絶後だという。その後一時さびれたが、最近また”人間復活” の波にのって賑わいを「トリ」戻した。
なお最後になったが、東京都内で酉の市の行われる神社の数は十六か所といわれている。足立の北側(足立にはあと一か所あったが今は行われていない)浅草、深川富岡、日本橋人形町、四谷須賀町、新宿、成子、熊野、南池袋、渋谷、日黒、大森、北嶺町、府中等である。
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